2022年05月15日

5月15日礼拝説教「知恵よりも自由よりも権利よりも」1コリント9:19〜23(8〜9章)

5月15日礼拝説教「知恵よりも自由よりも権利よりも」1コリント9:19〜23(8〜9章)
今は新型コロナのためか、電車に乗っても車内は静かなことが多いですが、以前は、時々、車内でも携帯でしゃべっている人がいました。なぜ携帯での通話が迷惑なのか、いろいろな理由があると思いますが、一つには、対話の片方しか聞こえない。普通の会話ですと、二人が語っている、そのやり取りが聞こえるので、何について語っているのか、理解できますが、通話ですと一人の言葉は聞こえても相手の声は周囲には聞こえてこない。ですから、耳に入るのは会話の半分だけで、何について語っているかよくわからない。何だかわからない話を延々と聞かされるのはすごく気になってしまう。突然に変な話から始めてしまいましたが、コリント人への手紙は、著者のパウロがコリント教会のクリスチャンたちと手紙でやり取りをしていまして、そのうち、パウロの書いた手紙の一部だけが聖書に残されています。ですから私たちは、この手紙を読みながら、背後にあるコリント教会からの手紙を想像する必要があります。例えば、8章の1節の最初にこう書かれています。
8:1 次に、偶像にささげた肉についてですが
ここには、コリント教会からの手紙で質問が書かれていて、それに対するパウロの応答が書かれています。「偶像にささげた肉」が何かは、少し読んでいくといくらか理解できます。その肉を食べてよいか、食べてはいけないか、という質問だったのでしょう。それにパウロが答えています。でも、8章に書かれているのは、単純に肉を食べるべきかということではなく、その質問がなされた背後にある問題にまでパウロは目を向けている。それは、8章から9章に続いている問題で、クリスチャンの自由や権利といった、現代の私たちにも関わってくることなのです。
前置きが長くなりましたが、今日は、第一コリントの8章と9章を通して、「知恵よりも自由よりも権利よりも」というタイトルでメッセージを取り次がせていただきます。いつものように三つのポイントで。第一に「知識よりも大切な愛」ということ。第二に「権利よりも大切な誇り」、そして第三に「自由よりも大切な福音」という順序で進めてまいります。
1.知識よりも大切な愛
もう一度、8章1節から少し読んでいきたいと思います。
8:1 次に、偶像にささげた肉についてですが、私たちはみな知識を持っているということなら、わかっています。しかし、知識は人を高ぶらせ、愛は人の徳を建てます。
8:2 人がもし、何かを知っていると思ったら、その人はまだ知らなけらばならないほどのことを知ってはいないのです。
8:3 しかし、人が神を愛するなら、その人は神に知られているのです。

古代ギリシャの有名な哲学者ソクラテスが「無知の知」と言うことを語ったのを思い出しますが、人間にはプライドがあって、知らないというのが難しいようで、知らないのに知ったかぶりをして失敗することもあります。パウロも、知っているという人は知るべきことを知っていない、と、ソクラテスのようなことを言っています。では何を知るべきか、パウロは、「しかし、人が神を愛するなら」と言います。哲学、英語でフィロソフィと言いますが、フィロは愛するという意味で、ソフィは知恵、ですから知恵を愛するということでしょうか。パウロは知恵を愛する以上に大切なことは、神を愛することだと言います。なぜなら、人間には分かっていないことも神様がすべてご存じであり、このお方を愛し、信頼していれば、分からないことがっても恐れる必要はないからです。
コリント教会の人たちは、知恵があると自称する人が多かったのでしょう。「偶像にささげた肉」という問題に関しても、彼らは、自分たちは知っている、と主張します。その知識とは何か。4節。
8:4 そういうわけで、偶像にささげた肉を食べることについてですが、私たちは、世の偶像の神は実際にはないものであること、また、唯一の神以外には神は存在しないことを知っています。
アテネ同様、コリントの町も学問が活発で、偶像の神殿も多かった。クリスチャンになって、偶像礼拝は罪だと聖書から学び、特にイザヤ書をはじめとする預言書には、偶像なる神は無に等しいのであって、天地を造られた神は唯一のお方だと教えられています。そのような知識を持っている人は、偶像にささげた肉と言っても、偶像なんてただの石や金属だから、ささげても意味がない。だから食べても良いと主張した。ところが、偶像礼拝の罪から救われた人の中には、二度と偶像礼拝には関わりたくない。でも偶像に捧げた肉を食べることで偶像礼拝に加担することにならないか、心配する人もいて、そのような人は市場で売っている肉はたいてい偶像に捧げた肉のおさがりであるので、肉は食べたくない、と考えた。考え方の違い、ということはよくある話です。教会で問題となるのは、どちらが正しいかということ以上に、肉を平気で食べている「知識人」が、食べない人をあいつらは無知だと見下す。食べない人は食べる人を、罪を犯していると言って裁く。ここに教会内での争いが生じていたのです。
パウロは双方の主張を知っていて、あえて「私たちは知っています」と知識派に話を合わせていますが、同調しているのではありません。10節。
8:10 知識のあるあなたが偶像の宮で食事をしているのをだれかが見たら、それによって力を得て、その人の良心は弱いのに、偶像の神に捧げた肉を食べるようなことにならないでしょうか。
8:11 その弱い人は、あなたの知識によって、滅びることになるのです。キリストはその兄弟のためにも死んでくださったのです。
8:12 あなたがたはこのように兄弟たちに対して罪を犯し、彼らの弱い良心を踏みにじるとき、キリストに対して罪を犯しているのです。

神の愛を、彼らは知識としては知っていたでしょうが、その愛によって救われたことを心から感謝していないために、他のクリスチャンが躓いて心を痛めていることに気が付かない。神への愛と兄弟への愛は不可分です。知識があると高ぶっている人には、神の愛を知ることが必要です。そして、知らないと見下すのではなく、他者への配慮を忘れてないようにパウロは語っています。もちろん、反対の立場の人には、唯一の神、また唯一の主であるキリストについて教え、8節。
8:8 しかし、私たちを神に近づけるのは食物ではありません。食べなくても損にはならないし、食べても益にはなりません。
と教えていて、両方の立場をふまえて語っているようです。ですからパウロの結論、13節。
8:13 ですから、もし食物が私の兄弟をつまずかせるなら、私は今後いっさい肉を食べません。
これは、パウロが肉食を止めてベジタリアンになったということではなく、誰かを躓かせるような状況なら食べないということでしょう。食物の話だけではなく、私たちは神と人を愛するということを忘れてはならない。この原則に立って考えるなら、コリント教会のような争いを避けることが出来るのです。
2.権利よりも大切な誇り
二つ目のポイントに移ります。8章9節。
8:9 ただ、あなたがたのこの権利が、弱い人たちのつまづきとならないように、気をつけなさい。
ここでパウロは「権利」という言葉を使っています。続く9章では自由と権利について語っています。肉を食べる権利はある。でも、その権利を使うこと以上に大切なことがある、とパウロは主張しています。ここにもう一つの背景が見え隠れしています。9章3節から。
9:3 私をさばく人たちに対して、私は次のように弁明します。
9:4 いったい私たちには飲み食いする権利がないのでしょうか。
9:5 私たちは、ほかの使徒、主の兄弟たち、ケパなどと違って、信者である妻を連れて歩く権利がないのでしょうか。
9:6 それともまた、私とバルナバだけには、生活のための働きをやめる権利がないのでしょうか。

飲み食いの権利は人間誰にでもあります。ないのでしょうか、という問いかけは、ありますよね、という意味です。では、6節の「生活のための働きをやめる権利」とは何のことでしょうか。
当時の教師たち、教会を教えて回る巡回教師たちは、その働きをするために生活費は教会が支えていました。ところが訳あって、パウロはコリント教会からは金銭的な援助は受けてこなかった。そのことから、パウロを批判する人は、金銭を受け取らないのはパウロが使徒ではないからだと裁いたのです。パウロは14節で
9:14 同じように、主も、福音を宣べ伝える者が、福音のための働きから生活のささえを得るように定めておられます。
パウロは、これは当然のことだと言いながら、15節。
9:15 しかし、私はこれらの権利を一つも用いませんでした。また、私は自分がそうされたくてこのように書いているのでもありません。私は自分の誇りを誰かに奪われるよりは、死んだほうがましだからです。
後半は過激な言い方をしていますが、パウロの言いたいことは、権利を主張したいと誤解を与えたくない。
理由ははっきりとは書かれていませんが、パウロはコリント伝道の中で彼らから金銭を受け取ることが彼らとパウロとの関係にとって良くないと感じて、コリント伝道の間は、彼らからの援助を受けなかったようです。コリントに到着したとき、パウロは天幕作りという副業をしながら伝道していた、と『使徒の働き』に書かれています。それでは伝道のために時間を使えない。そこで途中からは他の教会からの援助が届いて、フルタイムで伝道ができるようになったと記されています。
パウロは福音を伝える者が援助を受けることを否定しているのではない。パウロのコリント教会に対する個人的な思いがあったようです。ですから、彼らからの援助を受けないことが「誇り」だと言っているのです。援助を受ける権利はパウロにもある。でも、その権利を使用しない権利もある。時には自分の誇りにかけてでも権利には頼らない、という姿勢もあることをパウロは示しています。
私たちはクリスチャンとして、権利を使ってはいけない、ということではありません。社会の中で当然主張すべき権利は大切です。でも、権利を主張しすぎることが、周りの人からはあさましく見えるかもしれない。いいえ、他人の目に左右されるのではなく、神様がどう見ておられるか、を忘れてはならない。神様と共に生きる、これは失ってはならない、パウロにとっては誇りだったのです。
3.自由よりも大切な福音
三つ目のことをお話しして終わりたいと思います。権利と似ていますが、自由という問題です。現代人は権利や自由を重要視します。特に欧米ではかつて自由と権利を得るための闘いがあったからです。その自由を否定するのではありませんが、自由が神様よりも上になるなら、クリスチャンとしては、何か違うのではないでしょうか。
自由の反対は、強制、でしょうか。教会では、献金も礼拝出席も奉仕も交わりも、それは強制ではありません。自由です。ただ、それが大切なことだと聖書は教えています。どうして大切なのか。それは、私たちはキリストの十字架によって救われ、聖書の言葉を用いるなら、贖われて、キリストのものとされた。キリストのものとされたのだから強制されているのではありません。救われた私たちは自由があり、権利がある。でも、その自由よりもキリストと共に生きることがはるかに価値があると知ったのです。もし自分の自由や権利の主張が、一番大切なものを失わせるなら、その自由を行使しないことが益となるのです。礼拝のために時間をささげることは強制ではない。でも、そうして神様に時間や労力や金銭や、さまざまなものをささげて、それはすでにいただいた大きな恵みへの感謝です。神様に感謝するとき、神様はそれ以上の恵みを注いでくださることを私たちは知っているのではないでしょうか。
クリスチャンにも権利と自由があります。でも、永遠のいのちよりも大切なのでしょうか。自分の自由のために、神様との関係を手放して、永遠のいのちの豊かな祝福が半減するなら、それは大きな損失です。でも、それも正解ではありません。自分の益だけを考えているなら、自由に生きても、捧げる生き方をしても、結局は自分のための生き方になってしまいます。そこに神への愛があるなら、強制されていると感じるよりも、神様との交わりが喜びとなります。また、兄弟姉妹への愛があるなら、聖徒の交わりが楽しみとなります。
パウロは、特に迫害者であった自分がキリストと出会い、その愛により救われた経験から、誰よりもキリストの救い、すなわち福音を宣べ伝えることに情熱があります。19節から、有名な言葉です。
9:19 私はだれに対しても自由ですが、より多くの人を獲得するために、すべての人の奴隷となりました。
9:20 ユダヤ人にはユダヤ人のようになりました。それはユダヤ人を獲得するためです。律法の下にある人々には、私自身は律法の下にはいませんが、律法の下にある者のようになりました。それは律法の下にある人々を獲得するためです。

とんで、22節。
9:22 弱い人々には、弱い者になりました。弱い人々を獲得するためです。すべての人に、すべてのものとなりました。それは、何とかして、幾人かでも救うためです。
9:23 私はすべてのことを、福音のためにしています。それは、私も福音の恵みをともに受ける者となるためなのです。

イエス・キリストによる救い、すなわち福音によってパウロは救われ、人生が変えられた。その絶大な価値を知ったパウロにとっては、自分の権利や自由よりも福音に生きることがはるかに素晴らしいと知ったのです。福音と言う自分の考え方を主張するためではありません。それが誰かを救い、新しい人生、キリストにある生き方がそんなに素晴らしいかを知って欲しい、受け取って欲しい。だからパウロは敢えて損となっても良いから、福音のために全てのことをしているのです。
私たちも同じ福音によって救われたはずです。誰もがパウロと同じことはできませんが、私たちも喜んで福音のために生きるものでありたいと思います。自分だけが救われるのではなく、一人でも多くの人に福音を伝える。それが教会の使命であり、それが私たちの誇りであり恵みなのです。
まとめ.
私たちは何のために生きるのでしょうか。自分の知恵を誇るため、自分の権利を主張するため、自分の自由を楽しむため、ではありません。それも大切なものであることを認めつつ、それ以上に価値のある、大切なものをしっかりと握りしめて行きましょう。
タグ:ローマ書
posted by ちよざき at 12:00| Comment(0) | 説教
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