2018年02月11日

結婚式(創世記1章27節)

結婚式(創世記1章27節)
結婚式にあたり、一言、式辞を述べさせていただきます。先ほど、お読みしました聖書の言葉は、創世記という、聖書の一番最初の書物で、世界の始めということを描いています。その中で、人間とは何者であって、どのように生きる存在なのか、が教えられています。
神様が人間を造られたとき、「神のかたち」に造った、とはどういう意味かと言いますと、神様というお方は目に見えない、形の無い、お方ですから、人間の外面的な形が神様と似ている訳ではありません。ただ、神様が素晴らしいお方であり、その神様の素晴らしさをいくらかでも人間は表している、ということです。その正反対の考え方は、人間は単なる動物だ。でも、動物のような生き方、というのは、何か、蔑まれるような生活です。ですから、神様が愛と真実のお方であるように、人間も、お互いが愛し合い、真実な生き方をすることが期待されている存在なのです。
その「神のかたち」に造られた人間は、同時に「男と女」に造られた、と書かれている。それは、神様の素晴らしさを表す生き方をするためには、人間は自分の力だけではできない。一人では難しい。例えば、愛するということは、相手が必要です。自分のことだけしか愛さない、という生き方は、やはり周りから嫌がられる生き方になってしまいます。神様は、人間が一人で生きるのでは無く、誰かと一緒に生きることで、最も人間の素晴らしさが発揮できるように造られたのです。この「男と女」というのは、誰でも良い、というのではなく、さらに創世記を読み進めていくと、それは夫と妻、夫婦であることが分かってきます。
今日、結婚されるお二人が何のために結婚するのか。それは、二人が力を合わせて、神様の素晴らしさを証しするためでもある、ということを覚えていただきたいと思います。
お二人に対して、「お幸せに」と私たちは皆、思っています。でも、自分たち二人だけの幸せを願うなら、それは自己中心であり、神様の素晴らしさを表す生き方ではありません。自分たちの幸せが、周りの人たち、家族に、友人にとっても幸せとなるような夫婦となっていただきたい。
でも、具体的には、どうすれば神様の素晴らしさを表すことができるのか。それは、これから二人が教会に通って、聖書からもっと神様のことを学んでいく。神様のことが分からなければ、神様の素晴らしさを証しすることは出来ません。神様の素晴らしさをこれまで以上に熱心に知るようになってください。また、教会でのクリスチャン同士の交わりや、一緒に奉仕をすることで、他の人がどのように神様の素晴らしさを表すかを学ぶことができます。失敗もするでしょう。その時、イエス・キリストの赦しの恵みを体験し、神様の愛の深さを知ることができるのです。
お二人が一緒に聖書を読み、心を合わせて祈るとき、お互いに教え合うことができます。もちろん、Kさんのほうがクリスチャンとしては先輩ですから、Jさんが教えてもらうことのほうが最初は多いでしょう。でも、KさんもJさんの言葉に謙虚になって耳を傾けることが大切です。そうすることで、謙遜さというキリストの素晴らしさの一つを身に着けるようになります。またJさんも、これまで以上に真剣に神様に心を向けて、信仰において急成長するならば、時にはKさんを愛と忍耐をもってリードする、そうなっていただきたい。洗礼を受けるときに学びをしたときの熱心さ、それ以上に熱心に、クリスチャン夫婦の在り方を、聖書から学んでください。
今日は、親族や友人の皆様もたくさん、お二人の結婚式のためにおいでくださっています。教会の方々も、です。どうか、お二人が神様の素晴らしさを表すようなクリスチャンの家庭を築くことができるように、励まし、見守っていただきたいと思います。足らない点があるなら、それを批判するのは簡単ですが、良い模範を示して、この、クリスチャン夫婦として歩みだしたばかりの二人を根気強く、諭し導いてくだされば、と願っています。
人間が造られた意味、そしてお二人が今日、神様と人との前で結婚されることの意味と、目的を忘れずに、素敵なクリスチャン・ホームを築いていってください。
一言、お祈りいたします。
タグ:結婚
posted by ちよざき at 13:00| Comment(0) | 説教
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