2022年09月04日

9/4山根師記念礼拝「神のしもべとして」第二コリント6:1〜10(6章)

9/4山根師記念礼拝「神のしもべとして」第二コリント6:1〜10(6章)
池の上キリスト教会の創立者である山根可弌先生が1989年の9月18日に召されたことを覚えて、毎年、九月の第一日曜日に記念礼拝を持ってまいりました。先生の残してくださった信仰の証しは、「キリストの形なるまで」という自叙伝に記されていると共に、山根先生の薫陶を受けた方たちによって受け継がれています。池の上教会の創立五十周年の記念誌にも飯島兄が分かりやすくまとめてくださっていますので、是非お読みいただければと思います。コロナ禍が終わって多くの方々と一緒に礼拝ができるようになったとき、また直接に山根先生に触れた方々からお証しを聞かせていただく機会を持ちたいと願っています。今日は、コリント人への手紙を通して、神のしもべとして生きたパウロの姿を見ながら、山根先生の生涯に学びたいと思います。
いつものように三つのポイントで、第一に「苦難と恵みの僕」、第二に「心が開かれる」、そして第三に「神の聖さを求めて」という順序でメッセージを進めてまいりたいと思います。
1.苦難と恵みの僕(1〜10節)
山根先生のご生涯については、自叙伝が数年前に復刻されましたのを読んでください。先生がクリスチャンとなるまでの間、奥様である山根恵代先生、後に教会のお母さんと呼ばれるようになりますが、恵代夫人の大変な忍耐と犠牲があったことはご存じだと思います。キリスト教に反対していた山根先生が教会に行くようになり、やがて信仰を持ち、洗礼を受けた。自叙伝には「全き回心」と書かれている、「昭和十三年二月二十三日午前四時二十三分」と、古い方は覚えておられますね。山根先生がキリストのご臨在に触れた。生涯の中で三回、全財産をなげうった尊い犠牲。献身して牧師となり、六十歳のときに池の上教会を創立された。その間、どれほどの犠牲を、いいえ、ご自分を捧げて、また多くの苦難を味わわれたことは、一言では述べ尽くせません。イザヤ書に記された救い主の姿の一つに「苦難のしもべ」と言われる預言がありますが、キリストに従う者は大なり小なり、苦難のしもべとして犠牲を払うこともあります。でも、どうしてそれができたか。それは、それ以上の恵みを神様からいただいたからです。これも有名なエピソードですが、山根先生があるとき、神様から過去の罪を示されて悔い改めた。そのとき、その罪が赦された恵みに大きな喜びが与えられ、バスの中で下駄で足を踏まれたけれど、痛いどころか、「ありがとう」と感謝した。もちろん、このエピソードだけでなく、山根先生の後半生は恵みに満たされた日々だった。だから、素晴らしい働きをされ、キリストの栄光を示すことができたのです。
聖書に目を向けたいと思います。先ほど読んでいただいた、第二コリント6章の1節から、特に4節からパウロは自分の半生を語っています。1節、2節。
1 私たちは神とともに働く者として、あなたがたに懇願します。神の恵みをむだに受けないようにしてください。
2 神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。」確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。

パウロが、今は恵みの時、救いの日です、と確信を持って言えたのは、その救いに与ったからであり、それが神様からの一歩的な恵みだったと知っているからです。それまでキリスト教を迫害していたパウロが、キリストと出会って人生が変えられ、迫害者から伝道者に変えられた。しかし、恵みにより始まった新しい人生は、多くの苦難がありました。4節。
4 あらゆることにおいて、自分を神のしもべとして推薦しているのです。すなわち非常な忍耐と、悩みと、苦しみと、嘆きの中で、
5 また、むち打たれるときにも、入獄にも、暴動にも、労役にも、徹夜にも、断食にも、

まだまだ続きますが、このリストは、想像上のことではなく、実際にパウロが体験したことがほとんどでしょう。忍耐、悩み、苦しみ、嘆きはパウロの心の中のことです。むちと入獄、暴動に巻き込まれ、徹夜で苦しめられた。聖書に記されていることです。パウロはそれが神のしもべの姿だと言うのです。確かに、旧約聖書で神のしもべと言われる人たちは、様々な苦難を受けました。でも、それと共に大きな恵みもあった。その例を挙げたらきりがありません。
でも、このリストは、パウロの苦労話や自慢ではありません。コリントのクリスチャンも、いくらかは苦難があり、やがて大きな迫害の時代がやってくる。でも、それは神のしもべとされた証しであり、それを乗り越えるように豊かな恵みもあるのです。この真理は時代を超えて証しされてきました。私たちも同じ恵みによって救われ、新しい命に生かされているのですから、例え苦難があったとしても、それは神から見放されたのではなく、それどころか神のしもべとされた証しであり、パウロが「推薦している」と言っている通りです。
苦難ばかりと感じるかも知れません。でも、恵みも尽きることはない。すでに十字架による救いの恵みは与えられ、天国の約束が与えられた。そして、今も、その時に必要な恵みが用意され、これからも与えていただける。パウロは旧約聖書の言葉を引用して、
2 神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。」確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。
と言っています。苦難の中でも、今は恵みの時と信じて、祈りましょう。そのとき、神の恵みがどのようなものかを知らせていただけるのです。
2.心が開かれる(11〜13節)
二つ目のポイントに移ります。パウロが挙げた苦難のリストは、詳しい説明はありませんが、それはパウロがこれまでコリント教会の人たちにすでに語ってきたことだからです。パウロは自分の考えや聖書の知識だけでなく、自分の過去の罪も失敗も全て語ってきた。それを、11節。
11 コリントの人たち。私たちはあなたがたに包み隠すことなく話しました。私たちの心は広く開かれています。
パウロは心を開き、隠し事なく、語ってきた。それは真実を話して、信頼を受けて、そして彼らがパウロの教えを聞いて恵みを受けて欲しい。でも、パウロが愛を込めて知恵を尽くして忍耐の限りをつくして語っても、なお誤解があり、聞こうともしない者もいる。心を開いているパウロに対して、コリントの人たちの中にはパウロに対して心を閉ざしてしまっている人がいた。12節。
12 あなたがたは、私たちの中で制約を受けているのではなく、自分の心で自分を窮屈にしているのです。
13 私は自分の子どもに対するように言います。それに報いて、あなたがたのほうでも心を広くしてください。

この手紙を受け取ったコリント教会の状況は何度かお話をしましたが、一言で言うなら混乱した教会であり、パウロが一所懸命に語り掛けても、パウロを誤解して悪く受け止めたり、敵対する人たちもいた。でも、パウロはそれでも彼らを我が子として受け入れ、救いに導こうとしていたのです。パウロはいつも心を開いていた。でも、心を閉ざす人は、自分で自分の心を狭くしているのです。
誤解や行き違いもありますし、人間ですから攻撃的な言葉を使ってしまうかもしれない。いくらかは自分も言い過ぎかと気づくこともありますが、私が悪かったと認めたくないと、ますます相手を攻撃し、相手の言うことは悪くしか受け止めないように、自分で自分を思い込ませてしまう。だからなかなか冷静に見極めて、相手を受け止めることができなくなるのです。人間関係がうまくいかないのは当然です。
でも神様は人間がどれほど敵対しても、それでも私たちを救おうと語り掛け続けてくださる。神様は心を広くして私たちを受け入れようとしていてくださいます。自分から心を狭めないなら、神様のお声は心に響いてくるのです。
山根先生がクリスチャンとなる前は、むしろキリスト教に対して心を閉ざしていた。再婚して最初は、妻である恵代夫人が教会に行くことも反対だった。でも彼女の姿を通して少しずつ変えられて行ったのです。やがて家庭での集会を許し、ついに教会に一緒に行くようになった。絶対に聞かないぞと心を閉ざしたままではなく、聞く姿勢を持つようになったとき、最初は讃美歌の歌詞に心が惹かれ、やがて聖書の御言葉が響いてきた。山根先生の証しを読むと、クリスチャンとなってからは、聖書の言葉をそのまま受け入れる姿が目に止まります。心を閉ざすのではなく、最大限、心を開いて、神の言葉として受け入れて、従っていった。それが山根先生のクリスチャン人生でした。だから、神様も山根先生の生涯を導くことができたのです。私たちは御言葉に心を開いているでしょうか。
3.神の聖さを求めて(14〜18節)
もう一つ、証しを読んで感じたのは、山根先生がいかに純粋な信仰を求め続けておられたか、ということです。時には、人よりも神様に従うことを選んだため、道を異にするときもあった。それまで牧師として働いてこられた教会から離れて池の上教会を創立されたのも、その一つです。純粋な信仰、聖なる神様の前に生きる信仰でした。
先日、聖書学院の牧師研修コースで、メソジスト運動の創立者であるジョン・ウェスレーのことを学びましたが、ウェスレーも純粋な信仰を追い求め、特に聖なる神様にならって聖い生涯を送ることを求め続けた人です。学生の時から「ホーリー・クラブ」という会を作って仲間と一緒に聖い生活を求めていった。それがメソジストと呼ばれるようになった始めです。彼も信仰の遍歴を重ね、ある日、ついに聖書の御言葉によって心を揺さぶられる経験。それは山根先生の「全き回心」と共通するものがあります。その時の体験が、今、私たちが聖めと読んでいる体験へとつながっていく。「求めよ、さらば与えられん」との御言葉もありますが、聖なる生き方を求めたウェスレーが聖化の恵みへと導かれたように、山根先生が純粋な信仰を求めて素晴らしい信仰体験へと導かれた。私たちは何を求め、何を目指して歩んでいるでしょうか。
パウロが、コリント教会の人たちに「心を広くしてください」と言って語ったのが、どのようにするのかが、14節から始まります。
14 不信者と、つり合わぬくびきをいっしょにつけてはいけません。正義と不法とに、どんなつながりがあるでしょう。光と暗やみとに、どんな交わりがあるでしょう。
この「不信者と。つり合わぬくびき」というのが、具体的に何を指しているのか。その箇所は難しいというか、誤解を与えてしまうかも知れません。良く言われるのは、「このくびきとは結婚のことで、信者は不信者と結婚してはいけない」という解釈があります。しかし、日本もそうですが、圧倒的に不信者の方が多いコリントの町で、不信者との結婚を禁じるのは適切では無く、このことは第一手紙の7章でパウロが結婚問題について詳しく語っているのを読むと、決して禁止しているのではない。もちろん、恵代夫人が山根先生と結婚したときの苦労からも分かるように、難しいこともあるでしょう。しかし、それは信者同士の結婚でも、人間ですからぶつかることはあります。
他に、クリスチャンではない人たちとの関係を否定するような意味で受け取る人もいますが、それも第一の手紙をよく読むと、5章の中で取り扱っています。パウロは、不信者と交際を禁じて隠遁生活をするようにとは教えていません。むしろ、クリスチャンでは無い人たちと共に生活する中で、聖い生活を通して証しをし、福音を伝えていく。それがクリスチャンの生き方です。
聖書の教えを生活に適応するとき、理解が難しい部分は、聖書全体から理解をすることが大切です。「光と暗やみに、どんな交わりがあるでしょう」とパウロが14節で書いているように、確かにキリスト者の目指すところと、この世の生き方とは違いがあります。でも聖書は何と言っているか。16節。
16 神の宮と偶像とに、何の一致があるでしょう。私たちは生ける神の宮なのです。神はこう言われました。「わたしは彼らの間に住み、また歩む。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。
17 それゆえ、彼らの中から出て行き、彼らと分離せよ、と主は言われる。汚れたものに触れないようにせよ。そうすれば、わたしはあなたがたを受け入れ、
18 わたしはあなたがたの父となり、あなたがたはわたしの息子、娘となる、と全能の主が言われる。」

私たちは生ける神の宮、聖霊の宮とされ、神様は私たちの間に住んでいてくださる。インマヌエルの神です。しかし、このお方は、高く聖なるところにおられる神であると同時に、低くなって私たちと共にいてくださるお方です。どうしてか。それは私たちが罪から離れて、聖なる者とされるためです。この箇所は、下の引照を見ると分かるように、旧約聖書のあちこちから引用されている言葉です。17節に関してはイザヤ書の預言で、バビロンによって滅ぼされるイスラエルの民に対して、捕虜として連れて行かれたバビロンから出てきて、帰ってくることを語っている言葉です。でもそれをコリントの人たちが町を出てエルサレムに行くようにとはパウロは解釈していない。むしろ、置かれているその場所で、汚れたものから離れる生活、神を父として、このお方に従う生活です。この結論が、7章1節です。
7:1 愛する者たち。私たちはこのような約束を与えられているのですから、いっさいの霊肉の汚れから自分をきよめ、神を恐れかしこんで聖きを全うしようではありませんか。
そこに至るには、時間も忍耐も必要です。祈りと信仰がいつも求められます。でも、それが私たちをますます神様に近づけ、聖なる者として成長させてくださるのです。
まとめ.
自叙伝を読んでも、山根先生と恵代先生は、同じ信仰ですが、その働きは違います。それはキリストのからだの部分部分として違いがあるからです。私たちも山根先生や他の信仰の先達と全く同じにならなくても良い。でも、自分のできることをとおして、神の僕として用いていただくなら、山根先生の信仰に倣う者なのです。

posted by ちよざき at 12:00| Comment(0) | 説教