2022年04月17日

4月17日礼拝説教「今も満ちている命」エペソ書1:20〜23

4月17日礼拝説教「今も満ちている命」エペソ書1:20〜23
イースター、おめでとうございます。まだコロナ禍にありますが、今年も主イエス・キリストの復活を祝う礼拝を持てますことを感謝します。病気に対しても戦争に対しても、私たちは力の足らなさを痛切に感じますが、死に打ち勝たれたキリストは全てに勝利されるお方です。今日は特に復活の意味についてご一緒に聖書から学び、復活の主を信じることをもう一度深く考えたいと思います。復活の主イエス様は今も生きておられ、その復活のいのちは今も教会に満ちていることを覚えましょう。
いつものように三つのポイントに分けてイースターのメッセージを取り次がせていただきます。第一に「全能の力による復活」ということ、第二に「全ての上におられるキリスト」、そして第三に「教会はキリストのもの」という順序で進めてまいります。
1.全能の力による復活
さて今日はエペソ書を開いております。復活の出来事は福音書に記されていますが、その意味は聖書全体に示されています。エペソ書は、今年の教会の標語にもなった御言葉が4章にあり、キリストの体なる教会について教えている大切な手紙ですが、教会のかしらであるキリストのことも同時に教えています。
この手紙で、パウロはエペソ教会のクリスチャンたちのために祈っていることは、彼らが全能の父なる神の力がいかに偉大であるかをもっと知って欲しい。この神の力を知らないから、私たちは、「ああ、もう無理だ」と言って諦めたり、不信仰になってしまいます。パウロが知って欲しいと祈った、その全能の力が、先ほどお読みしました、20節の最初に出てきます。
20 神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上においてご自分の右の座に着かせて、
神の全能の力は、特にキリスト・イエスを死者の中からよみがえらせた、と書かれています。使徒信条の中で「三日目に死人のうちよりよみがえり」と告白されていますが、正確に訳すならば、「よみがえらされた」です。イエス様が十字架で亡くなられたとき、ご自身の力では黄泉に下ったままなのです。父なる神様に「父よ、わが霊を御手にゆだねます」と祈られた。委ねたということは、任せた、ということです。ですから復活できたのは父なる神の力、全能の力なのだと聖書は告げているのです。多くの奇跡を行ったイエス様です。神の御子です。でも、死んだなら、そこから自力では起き上がれない。それを父なる神の力で「よみがえらされた」のです。
復活というと、教会に来る前の人は当然そうですし、教会に通うようになっても、最初の内は復活なんて信じられない。でも、やがて聖書が教える神様を知るようになり、この神様を信頼するとき、これほどの偉大なお方なら、復活もおできになるかもしれないと、何となく受け入れることができるようになるでしょう。でも、復活は何となく信じるくらいではもったいない。信じられないほどのこと、驚くべき偉大な奇跡なのです。他にも信じがたいことはあるでしょう。でも復活は最大の奇跡です。最初の弟子たちはイースターの朝に復活の主と出会いましたが、半信半疑でした。何度もイエス様を見て、触れて、最後は聖霊が下ってくださり、確信を与えてくださった。聞いても見ても信じられなかったほどの驚くべき出来事です。私たちは復活を、それほどの驚きをもって信じているでしょうか。
クリスチャンになるとき、あるいは人によっては暫くしてからかも知れませんが、復活を受け入れ信じる者とされた。では、もう一歩進んで、この復活の奇跡を成就させた父なる神の全能の力を信じているでしょうか。信じがたい復活を巻き起こした力は、今も無くなったはずがない。いいえ、私たちのために十字架で贖いをしてくださったイエス様を復活させて、私たちに永遠の命を与えてくださる神様の、その全能の力は、私の人生にも働いてくださる。このことをしっかりと信じるなら、今、私が悩んでいること、苦悩している問題、信じがたいようなことでさえ、「その全能の力をキリストのうちに働かせ」たように、私の人生に、またこの教会にも、その力は発揮していただくことができると信じる者となれるのです。
2.全ての上におられるキリスト
主イエス様を復活させた全能の力は、さらに
天上においてご自分の右の座に着かせて、
21 すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました。

天に引き上げて、父なる神の右の座に着かせたのも、全能の力によるとパウロは語っています。そして、キリストを「すべての支配、権威、権力、主権の上に」、つまりあらゆるものの上に置かれた。イエス様は十字架という大切な働きを終えて、天にお帰りになって、仕事が終わって休んでいる、というのではなくて、全てのものの上におられる。ですから、キリストは全てのものを従わせる権威も力も持っておられ、あらゆる問題も解決できる。どんな問題があるのでしょうか。病気、経済、人間関係、罪の問題、それだけでしょうか。仕事や勉強は、自分の仕事であり、キリストは無関心なのでしょうか。いいえ、主イエス様は、私の生活の全ての問題に目を向けておられ、全てを従わせることができる。でも、それを妨げるのは、「私」です。これくらいは自分でできる、これは自分の思い通りにしたいからイエス様も黙っていてください。そう言葉に出さなくても、自分中心な私たちは、イエス様が私の全て、私の心、私自身でさえ、キリストの支配の下にあることを忘れている、いいえ、認めようとしていないのではないでしょうか。
復活の主は、今、私の主人として、私の上にもいてくださり、私たちの上に全能の力を働かせて、人生を造り変え、新しい人生、永遠の命にしてくださるのです。どうしてイースターがおめでたいのか、それはイエス様が復活してくださったということは、全ての問題をも造り変えて新しくして、神様の御心のままにしていただけるからです。
3.教会はキリストのもの
さらにパウロは続けます。22節。
22 また、神は、いっさいのものをキリストの足の下に従わせ、いっさいのものの上に立つかしらであるキリストを、教会にお与えになりました。
23 教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。

父なる神様は、貴い御子を救い主としてこの世に遣わされただけでなく、今も主イエス様を、二千年前の弟子たちに、そして今でも、クリスチャンに与えてくださり、教会のかしらとしてくださった。でも、キリストが私たちに与えられ、私たちのものであるとは、私たちが自分の好きなようにして良いということではありません。キリストがかしらであり、教会はキリストのからだとして、キリストの命令に従う存在です。キリストは教会のものであり、教会はキリストのものです。キリストが教会をご自分のものとされるとは、イエス様も教会を自分の好き勝手に扱うということではありません。むしろ問題だらけの教会、また一人一人を、愛を持って導き、父なる神にとりなし、ご自分のものである教会を大切にしてくださる。だから、聖霊を教会に遣わしてくださったのです。
聖霊が教会の中に働いておられるとき、聖霊を遣わされたキリストも共にいてくださる。いっさいのものを満たすことがおできになるキリストが教会の中に満ちておられる。これは大変に凄いことです。私たちは自分の体を大切にします。健康や長寿のために多くの財や時間を費やす方は少なくないでしょう。それくらい、自分の中に自分の思いが満ちていて、何よりも自分は大切です。でも、イエス様はそのような人間の思い以上に、私たちを愛して、教会に深く関わっていてくださるのです。このイエス様に、私たちが連なっているとき、キリストのうちにある命が私たちのうちにも豊かに満ちて、キリストに生かされる人生、それが永遠の命なのです。
まとめ.
キリストの復活は二千年前に終わった出来事ではありません。キリストは今も生きておられ、天で御座に着いていると同時に、聖霊によって教会のかしらとしていてくださいます。池の上教会にも、復活の主のいのちが今も満ちている。このお方を信頼し、御心に従い、全能の力により復活の命に生かしていただくなら、今の困難にも乗り越えさせていただけるのです。
posted by ちよざき at 12:00| Comment(0) | 説教