2021年12月12日

12月12日礼拝説教「全地に広まる救い」詩篇66:1〜6(66篇)

12月12日礼拝説教「全地に広まる救い」詩篇66:1〜6(66篇)
詩篇には、嘆きの祈りと呼ばれる、苦しいときに救いを求める祈りが数多くあります。でも、その祈りが聞き届けられて、神様からの救い、御救いが与えられ、感謝と賛美へと変えられて行きます。変えられたからこそ、苦しいときの祈りを記念として書き残していったのです。そして、それは個人的な記念だけでとどまらず、苦悩の中にいる他の人々もこの祈りに教えられ励まされ、やがて御救いに与り、また次の人、次の世代への御救いは広まって行ったのです。
今日は詩篇66篇を通して、「全地に広まる救い」と題しまして、いつものように三つのポイントに分けてメッセージを取り次がせていただきます。第一に、「御救いの歴史」ということ、第二に「御救いの証し」、そして第三に「御救いの知らせ」という順序で進めてまいります。
1.御救いの歴史(1〜12節)
先ほど、1節から6節を読んでいただきましたが、もう一度、1節から見て参ります。1節。
1 全地よ。神に向かって喜び叫べ。
2 御名の栄光をほめ歌い、神への賛美を栄光に輝かせよ。

この最初の部分は、この詩篇が圧倒的な賛美、喜びと栄光に満ちた賛美であることを語っています。全地よ、と言っているのは、イスラエルだけでなく全世界の人々への呼びかけです。どうして、それほどに神様を賛美しているのか。3節。
3 神に申し上げよ。「あなたのみわざは、なんと恐ろしいことでしょう。偉大な御力のために、あなたの敵は、御前にへつらい服します。
「あなたのみわざは、なんと恐ろしい」、古い翻訳では「恐るべきかな」と書かれています。怖いというよりも、恐るべき、偉大だということです。恐るべき御業とは具体的には何のことか。二種類ありまして、一つは、先週も詩篇65篇で触れましたが、詩篇65篇の5節から6節で、天地創造の御業が語られています。もう一つが、この詩篇で語られている出エジプトの救いです。5節と6節を読みます。
5 さあ、神のみわざを見よ。神の人の子らになさることは恐ろしい。
6 神は海を変えて、かわいた地とされた。人々は川の中を歩いて渡る。さあ、私たちは、神にあって喜ぼう。

海を変えて渇いた地とすることは、出エジプトの最初に紅海が分かれて海を渡ったことで、川の中を歩いて渡るとは、出エジプトの最後に、せき止められたヨルダン川を歩いて渡って約束の地に入ったことです。その間や前後にも多くのことがありましたが、エジプトでの奴隷の苦しみから救われ、荒野を通ってカナンの地が与えられた。これを一言で言うと、出エジプトの救い、ということです。
詩篇の祈りは、時には長い間祈り続けることもあった。諦めそうになるとき、人々を励ましたのは、かつての救いの出来事です。エジプトから救い出してくださった力ある神様は、きっと今の苦しみからの救い出してくださる。この信仰が詩篇の祈りの中でも何度も語られています。専門用語では「救いの回顧」と言います。他にも様々な過去の救いを思い出して祈るのですが、特に出エジプトのことが何度も語られていることがわかります。
確かに大きな苦難は、簡単には解決せずに、長い年月が必要です。その間、神様の救いを待ち望んで祈り続けるのは、過去の救いを思い出して、その神様を信頼することによります。今も、何年も苦難の中におかれていても、荒野の40年間を導き続けてくださったお方を信頼して、祈り続け、待ち望み続けるのです。その信仰を、私たちも持たせていただきたい。出エジプトだけでない。私たちを救うために御子イエス様をこの世に遣わしてくださり、十字架と復活によって私たちを罪から救ってくださった。これは出エジプト以上に重大な救いの御業。それが私たちにも与えられたことを覚えて、待ち望む祈りをし続けましょう。
2.御救いの証し(13〜20節)
二つ目のことに移ります。12節から読みます。
12 あなたは人々に、私たちの頭の上を乗り越えさせられました。私たちは、火の中を通り、水の中を通りました。しかし、あなたは豊かな所へ私たちを連れ出されました。
13 私は全焼のいけにえを携えて、あなたの家に行き、私の誓いを果たします。

12節で「火の中、水の中」というのは、火の中を通ったのはダニエル書の出来事くらいですが、戦争の炎かもしれません。水の中は、やはり出エジプトを指します。豊かな所とは約束の地です。ここまでは「私たちは」と、私たち、専門用語では、民族あるいは共同体と言います。ところが13節以降は、「私たち」ではなく「私」となります。
詩篇150の詩は、大きく分けると、嘆きの歌と呼ばれる苦悩の中の祈りと、感謝と賛美の歌とに分けられますが、さらに、そのどちらも、主語が「私たち」となっている、民族の祈りや民族の賛美と、主語が「私」となっている、個人の嘆き、個人の賛美、と分けることができます。最初は民族の救いを教えられます。イスラエルはエジプトから救っていただいた民だから、この神様を賛美する。しかし、この「民族の信仰」ですと、だんだんと人任せで、いい加減になってしまう。そこで、時にはみんなが間違った道、偶像礼拝に走ったとしても、私はこの神様を信じますという、個人の祈りや賛美が必要です。この66篇は、前半が民族の賛美で、後半は個人の賛美、という大変に珍しい形になっています。
少し難しい話になってしまいましたが、最初は民族の信仰として信じていた神様を、やがて成長して行く中で「私の救い」と、信仰が明確になっていく。それは私たちにもそういう部分があります。最初に教会に来るときは、多くの人は誰かに誘われてきて、自分は信じていないけれども、信じている人たちを見て、自分もそうなりたいと漠然と考える。それが、あるとき、自分自身がこの神様を信じ、キリストを心にお迎えする。そこから個人の救いとなっていくのです。どのように、それが変化していくのでしょうか。
13節の「私の誓いを果たします」とありますが、この誓いとは、嘆きの詩篇にも出てくる、「もし、この祈りが聞かれて救われたら、その時には神様に捧げます」という誓いで、祈りが応えられたとき、神様に捧げるのは、賛美と献身です。献身や感謝を込めて、当時は動物の犠牲を捧げることもよくありましたが、特に、賛美を捧げました。賛美を捧げるときに、過去の御救いを思い起こして信仰が励まされ、苦難が長く続いても忍耐して祈り続ける信仰が備わっていきます。賛美を通して成長する信仰により、忍耐の末に御救いが与えられるのです。
しかし、この詩篇は、助けていただいた出来事そのものについては語っていません。むしろ、19節。
19 しかし、確かに、神は聞き入れ、私の祈りの声を心に留められた。
20 ほむべきかな。神。神は、私の祈りを退けず、御恵みを私から取り去られなかった。

この人は、神様が祈りを聞き入れて、応えてくださったことを語っています。ただ単に、困ったことから助けられた、ということですと、助かった出来事だけに目が向いて、助けてくださったお方を忘れがちです。でも、苦しい中で祈り続けて、神様に心を何度も向ける。そのような祈りの末に御救いが与えられると、まず神様に感謝したい、そして救われたのは、神様の恵みであることがはっきりとわかるのです。
苦しいときに祈るのは辛いでしょう。でも、神様に心を向けて祈り続けるとき、私たちはもっと神様に近づけられ、神様の恵みを知る者となり、救いが確かな信仰となることができるのです。
3.御救いの知らせ(ルカ2章)
三つ目のことをお話しして終わりたいと思います。もう一箇所、聖書を読みます。お聞きください。ルカの福音書2章10節、11節。
10 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。
11 きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。

有名なクリスマスのメッセージです。天使が「この民全体」と言ったのは、個人的な救い以上に、民全体に与えられる喜びです。それは民全体が苦難の中で祈っていたからです。旧約聖書が終わり新約聖書の時代が始まるまでの間の時代、中間時代と呼ばれますが、その間、信仰深いユダヤ人たちは迫害を受けました。時には殉教する者たちも多かった。そしてローマ帝国に支配され、苦しめられていた人々が旧約聖書に預言された救い主、メシアを待ち望んで祈り続けていたのです。ですから天使たちは「この民全体」と言って、一番底辺で苦しめられていた羊飼いたちにまず救い主の知らせを告げたのです。
この知らせは、羊飼いたちからベツレヘムの町の人々、やがてイスラエル全体、そして全世界へと伝えられて行き、全地の全ての人に御救いの恵みが告げられて行くのです。それがクリスマスのメッセージです。その知らせは、多くの人に語り伝えるだけでなく、一人一人を通して次の人に伝えられる方法で、二千年間、広まっていったのです。
私たちも、その知らせを受けた者です。いいえ、聞いただけでなく、それを信じる時に、その人も御救いを受け、罪から救われて、永遠の命が与えられ、苦しみから喜びへと変えられるのです。その喜びを持って、自分の救いを証しするとき、私たちも次の人にこの知らせを手渡すことができるのです。今は、コロナ禍にあって、たくさんの人を招くことができない。これまでの方法が難しい。でも、一人が一人に証しすることはできます。直接会えなくても、手紙や電話や、最近はインターネットも用いることができ、離れていても伝えることができる。地道かも知れませんが、基本です。一人が一人に伝えるとき、救いを手渡すことができるのです。
まとめ.
苦しみの中で神様に祈り、神様との交わりを持った体験を、信仰者がお互いに証ししあうとき、お互いが励まされます。苦難の中でも信仰を持って歩み続ける力が与えられます。これも素晴らしい証しです。詩篇の詩人たちが賛美と祈りを書き伝えて信仰の証しを人々に、また後の時代の人にも伝えたように、また新約時代の人々が救いの証しを世界中に語り伝えて行ったように、私たちも救いの恵みを語り伝えていきましょう。それが全地へと救いが広められる、一歩となるのです。
posted by ちよざき at 12:00| Comment(0) | 説教